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相応しい時

相応しい時


「となったら、是が非でも海にちゃんと食べてもらわなきゃね。でなきゃホントに今度は長期入院モノだよ。さあ、言って。何が食べたい?」
僕は病院を出るときワザと明るくそう言った。
「…じゃぁ、ケーキ、チョコレートケーキが食べたい。」
「ケーキ?!しかも、チョコレートケーキなの??」
だけど、海から返ってきた答えに僕は驚いた。海はお酒好きで甘いものは本当に苦手。酒好きの人のことを左党と言うひとがいるけれど、左利きの海にはぴったりだと思った事がある。そんな彼女がチョコレートケーキだなんて。
「何か無性に食べたいのよ。お願い、それなら食べられると思う。」
それで、僕たちは病院近くの喫茶店に入った。
「秀一郎にも買って帰って一緒に食べようと思っていたのに。」
海はそう言いながらも、おいしそうにそのチョコレートケーキを食べた。ちゃんとエコーでも確認したんだし、僕は彼女の妊娠を事実だと受け止めてはいるんだけど、このビックリするような食嗜好の変化で尚更深くそれを実感した。
「どうして隠すような事したの。君は妊娠してるって気付いてたんでしょ?だから、僕が一緒に病院に行くのも拒んで…」
僕は海の文句に答える代わりにそう言った。
「二人目だから…」
非難がましい僕の言い草に海は悲しい表情でそう答えた。
「ねぇ、ホントに僕の子供なの?」
「当たり前でしょ?!他に誰の子供だって言うの!」
だけど、僕がそう言うと、海はキッと睨んで怒った。
「じゃぁ何でそんな顔してるの。僕の子供なんて嬉しくないんだ、そうでしょ。」
「違うわよ、嬉しいわよ。飛び上がりたくなるくらいホントに嬉しいわよ!ただ…」
「ただ?」
「私、怖いの。龍太郎との子供が産まれたら、龍太郎が秀一郎を見る眼が変わるんじゃないかと思って…」
そんな涙をいっぱい溜めて言った海の言葉に、僕は胸を抉られた。
僕は海が健史の事を7年経っても忘れていなくて、僕の子供を妊娠したことが辛いのだと思っていた。
そう…僕はその事に戸惑っていた。こんな風に時間がかかっても子宝に恵まれた事で、健史のしてくれた事が全部無駄になってしまったような気がしたから。
僕があの時、一度手を離したりしなければ…健史は今も僕たちの側にいて、僕らを応援し続けてくれてこの日が迎えられたのではないかと思うと、ものすごく自分が責められて…その裏返しで僕は海についきつい事を言ってしまっていた。
しかし、海にとっては、どちらも自分の血を分けた子供だ。この子が産まれることで、秀一郎と僕との関係が変わってしまうことを彼女は怖れている。
僕は、そんな事にも気付いてあげられずに一方的に海を攻めようとしていた自分を恥ずかしく思った。

「ねぇ、海は僕が子供ができないんだとカミングアウトした時のことを覚えてる?」
僕がいきなりそう言うと、海は目を見開いて僕を見た。
「秀一郎はぼくにとって、my precious 僕の宝物だって言った事。それは今でも変わらないよ。ううん、むしろ今の方がずっと…生まれてくる子供が縦しんば男の子でも、結城の跡取りは秀一郎以外にはいないよ。本当に健史はどうしてこんなにかわいい子を置いてどこかに行けたんだろうかって不思議に思うよ。
ゴメンね、僕が一度手を離したばっかりに、海に余計な苦しい思いばかりさせるね。」
僕がそう言うと、海は静かに頭を振った。
「龍太郎…龍太郎も自分を責めたりしないで。ありがとう、そこまで言ってもらえるなんて…でもね、健史はきっとこの事を喜んでくれるはずよ。『そら見たことか、何にもお前らに障害なんてなかったろ。』って声まで聞こえる気がする。
私、思うの。あのまま龍太郎が本当のことをだれにも言わずに隠し続けたとして、私たちがずるずるとあのままの関係を続けたとしたら、そして今のタイミングでしか私達に子供が授からないんだとしたら…きっと私たちそれまで持たなかったって。大体、ウチのあのおかあさんが、この年まで私を誰とも結婚させないでいさせると思う?」
「海はお義母さんにはホントに手厳しいね。でも、あの時何も言わずにすんなり許してくれたのが却って気持ち悪かったんだけどね、僕も。」
僕は海の言葉に頷きながら答えた。
「だから、私たちにはこれが一番相応しい時だったのよ。たぶん、健史にとっても…」
海は涙を流しながら笑顔でそう言った。
「健史にとっても?」
「ううん、なんでもない。健史、今どこにいるのかしら。」
「ホントに。今どこで何をしてるんだろう。」
海は最後の言葉を濁した。彼女は何を言おうとしたんだろうか。僕はひどく気になったけれど、彼女の顔を見ていると、聞いても答えてはくれないだろうという事がなんとなくだけど分かって、僕はそれ以上詮索するのを止めた。
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